言葉って本当に人となりが出るもんで

知り合いには誰にも読まれてないと思うと

とっても気が楽ですね、笑

 

1年半前に書いたぶろぐとは打って変わって

ダークサイドがだばだばと

 

とか言って前に書いた

純潔を演じている自分しか知らない人とかがこれをみたらどう思うのかな

 

 

でもねこないだ言ってたんですある人が、

「ネガティブなことって共感したり、一緒に悲しんでもらいやすいけど

そうじゃなくて自分を見る人たちに前向きになって欲しいから

そうなれるようにプラスの影響を与えられるものを発信したい」って

 

私それ、最初に聞いた時にはなんというか

その言葉をその人から発せられたただの音としてしか認識してなくって

「あぁ~」なんて思いながら聞き流していたというか

それこそ良い子を演じるのに気を割いていたのか

 

だけどその人、質問された時に

そんな深いことを言うそぶりなく

あまりにもパッとそれを答えていたから気がつかなかったんだけど

 

文字に起こされて

それを、何回も何回も聞いていくうちに

なんだかちょっとずづその意味が分かっていく気がしたんです。

それって大事だなって。

(良かったらもう一度読み返してみて↑)

 

 

たまたま私は最近

人にそうやって質問する機会が増えていて

大体その場で2分くらい話してもらって

その後でそれをよく聞いてどの部分が必要かどうか精査してるんですけど、

たまに、何人かに一人、

1回目より2回目、2回目より、、と

話している内容がだんだんと分かってくる、腑に落ちてくるような

話をなさる方がいるんです。

 

その方たちは、さっき言ったみたいに

ぽんってそういう話をするからその時は気づけないんだけど

帰ってよく聞いていると

よくそんな普通の会話のようにすっと出てくるなということが多くて。

 

その人たちの共通点って

「他人より多く本を読んでる」

ことな気がしてるんです。

たぶん。

 

読書が人としての厚みを増やしそう

というのはなんとなく分かる気がするんですけど、

自分がなんとなく抱いている目標だったり希望だったり意思だったり。

それをきちんと言語化できるようになるというのも

読書の大きな効果のひとつなんかじゃないかな、と思いながら

慌てて図書館で本を借り、読み耽る今日この頃です。笑

 

 

さきの、話に感心しておきながら

ネガティブをダバダバしていることについては

耳が痛いんですけれど、

まあ誰も見ていない自己満だからいいだろ、

ということで

過去を清算して、

あわよくばこれに誰かが共感してくれればななんて

思って書いてこうと思います

 

母に嫌われて

お母さんは私のことが嫌いだ、

 

思い返しても、

いつから母に嫌われてたのかは定かではない。

なんなら母自身は今もそのことに気付いていないのかもしれないから

明確にいつから嫌われているかは誰にも分からないのだけれど、

 

というか、母が気付いていないかもしれないという時点で

嫌われているというのは私の勝手な妄想ではないかと思うこともあるのだが、

それでもやっぱり、

嫌われているのである。

 

 

もしかしたら正確には

好かれていないの方が正しいかもしれない。

 

小さい頃の断片的な記憶の中で、

毎日毎日何かにつけて

弟と私で母を取り合っていた記憶がある。

その中で母は確かに、

私と弟を順番に相手しながら

抱きしめてくれたり、頬にキスをしてくれたりしていたし

 

飼っていた犬に異常に過保護で甘い母や

まだ幼い従妹をあやしているところを見ると、

確かに母は赤ちゃんや子供が大好きなのだと思う。

そしてまた、その犬を見て

自分のこう育てられたのかと思うと

気持ちが悪くて仕方なかったのだけど。

 

現に母は娘(私)が自分のもとを去っていこうとするのに気付いたときに

周りに私のことを心配していると話したり、

私がしたことを勝手に自分の為と思って喜んでいたりしたらしいから

嫌いというよりは、

弟と比べて好きではないというだけかもしれない。

(私には2つ下に弟が一人いる)

 

どちらにせよ、一緒に暮らしていると

本能的に、というよりもうクセで

(弟より)母に好かれたいと、嫌われたくないと思ってしまう。

 

そうして私はまた、母が望むような反応をして

それでもやっぱり弟には勝てないのだと分かると

悲しくてしょうがなくなるから

鼻から関わりたくないのだ。

 

でもこんなことを

「なんで実家が近いのにひとり暮らししてるの?」

っていう軽い質問の後に

「母が私を愛してくれるかもしれないなんて馬鹿な期待をまた抱かないように」

なんては返せないから

「なんででしょうね~」

と笑っておくのだ。

 

なるべく嘘は言いたくないからね。

 

自分のことが大嫌い1

自分のことが大嫌いだ、

 

なんとなく、常に、私は自分のことが嫌いだ。

目上の人といると、実際以上に純粋なふりを、若いふりをして

相手がどんな藩のを自分に求めてるかを逐一目で吸い上げて

それを演技する。

 

自分は、その時、大真面目にそれをやっているのだ。

本当は、本当の私はこんなにもひねくれているのに、

それを知っていて

その時だけは本当にピュアなふりができるし、

なんなら本当に純粋で潔白な人間のようにすら思えてくる。

 

そうやって演技しているのと同時に

相手の弱点や目的を探し

心の中でこき下ろしているというのに

 

それはほぼ自動的に、反射的に、

気づいたらもう、やっているのだ。

そうやって人と話す自分を気持ち悪いなと

もう一つの目で上から見ながら懲りずに毎回そうやって人と話す。

 

だからちゃんと、

醜い自分はその場所に居てはいけないんじゃないかという不安に

いつでも駆られている。

出かける前に自室の全真教の前で、念入りにスキンケアをし

メイクをして、髪も絶妙なバランスで巻いて

良い、控えめに言ってめっちゃいい女だなという角度を探してから

家を出たはずなのに

一歩外に出て人とすれ違うと

先程までの自身が嘘のように散っていって

そのすれちがったのが男の人であれば特に

目を合わせられず、すれ違うご一行の行動が絶対に視界に入らないように

反対の地面の方に顔を背けて歩くことになる。

 

なんでだろう。

なんでなんだろう、自信がないのだ。

とにかく自分というものがやること為すことすべてに

自信が持てないのだ。

 

自分の一部であるから完璧であって欲しい

どこかでそう願っているんだろうなということは知っている。

 

外にいても、家にいても、

その大嫌いな自分の顔を電車のガラスの反射やスマホの内カメをわざわざ開いて

日に何度も確認しているのは一体なんでなんだろう。

ひょっとしたら自分でも気づかないレベルで

ナルシストなのかな。

 

こう毎日なにかに追われていれば考えなくて済むのに

ひとたび時間が出来ると考えだしてしまう。

そうするとそのなんとなくやっていたダイエットや

メイクや、人との関わり方が

だんだん分からなくなって

終いにはまた

自分が嫌いだというところに落ち着くのだ。

 

でもね、ここまで書いて

ほら、私、

こんなにも自分のことを嫌ってる自分が

大好きみたい。

 

コロナで突然春休みなんだけど暇で暇でしょうがない人へ

 

f:id:kinonoblog:20200308181449p:plain

こんにちは、

前回ある記事を書いていた時に、データを飛ばしてしまって

恐ろしくやる気を失ってしまいしばらくパソコンに向かっていなかったkinoです。

まだブログを生活に組み込めていない感がすごいですね~

 

というかこうやって思っていることを書いているのは

全然苦じゃないんですけど、やれアフィリエイト

CSSをちょっといじるとか、サムネイルとかを思うと途端に面倒に感じちゃいますよね

 

あと何事も、ああだるいって思っていることって

やり始めると全然なんでもなかったりしちゃいますよね。

 

その間何をしていたかというと、

ひったすらYoutubeを見てました。ね。笑

誰をそんなに見ていたかというと

カジサックさん、てんちむさん、エンリケさん、などなど。

 

この方たちの共通点。

何だか分かりますか???

 

・・・正解は

管理人がなんとなく名前は知っていたけど避けていた人でした。

分かるわけないですよねすみません。笑

 正直みなさん外見や先入観のイメージから、

 「なんとなくこの動画見ても無益だろう」とか「面白くなさそう」

とか思って見ていなかったんです。

 

でも、何本か見ていたらどっぷりハマってしまって

どの方も是非取り入れたいと思うような考え方や生き方が

たくさん転がっている良い動画が多くありました。

 

そして、その方たちの動画では結構真面目なVoicyの配信者さん、

自己啓発本やビジネス系Youtuberさんと同じことを言っていることも多々ありました。

違いは何かというと伝え方です。

 

一見何も考えてなさそうに見えて、

なりたい自分を叶えるためにいろいろ努力をしたり挫折をされているのですが、

本当に面白い失敗談や自分が体験できないようなものばかりで

そういった違いが非常に面白いです。

違うものに触れることによって段々自分がはっきりしてきますよね。

 

 

これがYoutubeというかネットの難しいというか、あともうちょっとというところ

のように思います。

めちゃくちゃ面白いものが転がっているかもしれないけど、

そのキーワードを検索履歴に入れないと出会うことはない、所。

 

面白い動画が見たいけどなんて検索したらいいか分からないとか、

何がしたいか分からないけど面白いことに出会いたいとか、

新しい趣味が欲しいとか思っている方ってたくさんいるんじゃないかなって思います。

 そういう時に自分が嫌っていたもの

あえて触れていなかったもの

率先して見に行くって結構楽しいですよ!

 

突然の春休み突入で暇を持て余している方。是非お勧めです。

記憶にのこっている教育実習生に言われたこと

こんばんは、kinoです。

昨日もブログはお休みしてしまったのですが、

今日こそ書くぞと思いながらお風呂に入っていた時、これだ!

っと思うものがあったんです。

よしっ!と思ってパソコンを開いた時には

「あれ。。なんだったっけ。。。?」

 

本当に人間ってすぐ忘れますよね。

思いついたときは大革命が起こったくらいに、嬉しいのに、

なんともったいないことやら。

 

ということで、今回は「忘れちゃう」ということから

思い出のあることをお話ししていきたいと思います。

 

管理人の通っていた中学では、毎年梅雨の時期に教育実習生がやってきて

4,5時間ほど先生の代わりに授業をして下さっていました。

その当時は管理人も『教育実習生』というのがなんだか好きになれなくて

中学生というちょうど反抗期だった生徒たちは

毎年のように教育実習生をいじったりちゃかしたりしていました。

 

中学3年生の時、社会の先生だったと思いますが

様々な教育実習生の方がいる中、その方はすごく情熱を持っている方だった印象です。

授業の内容や板書の字などはもちろん全然慣れていないのですが、

わざとなめたような態度をとる生徒たちにも

まっすぐに向き合われていたように記憶しています。

管理人もだるいなあとは思いつつも、テストには出るので

最後の授業まで適当になんとなく授業を受けていました。

 

そしてすぐに最後の授業が終わります。

と、そこでその実習生が「ちょっと待って、最後に言いたいことがある」

と言い出したのです。

それまでの教育実習生にはないことで、とても不思議に思いました。

 

「君たちは、今は自覚がないかもしれないけど

中学生という、とてもキラキラした日々を過ごしているんだ。

何でもないように感じているとは思うんだけど、

こんな日常は戻ってきたりはしなくて、それは大人になってわかるけど

とても貴重なものなんだよ。

それが大切だったと思えるころにはもう大半のことは忘れてしまっていて

それってすごく寂しいし、もったいないと思う。

だから、僕は日記をつけています

その時悩んでいたこと、嬉しかったことを書いていて

もうノート数冊分あるんです。

日記をつけるなんて、小学生の宿題みたいだし

最初の方はなんで書いてるんだろうとか思うかもしれないけど

本当にどうでもいいと思うことでもいいから、

毎日は続かなそうだったら書きたいときだけでもいいから

ぜひ書いてみてください。」

 

そういってその実習生は最後の授業を終えました。

この話を同級生たちがどう受けとったかは分かりませんが、

管理人はなんだかすごく感動して、

その日の夜からよー分からんけど書き始めてみました。

 

一応始めた当初は毎日書く予定だったのですが、

少しづつ少しづつ間が空いていき、

今はすごく感情が動いたときのみしか書いていないです。笑

 

それでも面白いのが昔の自分を振り返ると恥ずかしいのですが

  • 字体
  • 考え方
  • 視野

 などが変わっているのがすごく面白いんです。笑

特にびっくりしたのが字体。

徐々に価値観が変わっていくのに伴って

小さかった字が堂々としていったり、またメンタルの調子によって

あらぶっていたり、整っていたりなど様々。

メンタルって字に出るんだなと驚きでした。

これが手書きのいいところです。

f:id:kinonoblog:20200302220427p:plain

 

あとそう、これは日記の先生が言っていた絶対に守らなくてはいけない

ルールがありました。

それは、日記の中では絶対にうそをつかないこと。

簡単そうですが、意外と私たちは

本当は思ったのによくない感情だと押し殺していたり、

自分のあまり見たくない面は封じ込めていたりしてしまっています。

それが本当は悪くないことでも、

持っている価値観によっては自分を責めてしまったりしています。

その感情もせめて自分だけは受け止めてあげたいですよね。

 

あなたも日記、始めてみませんか?

抗えないものに直面すると思うこと

こんばんは、kinoです。

 

昨日はブログを更新できなかったのですが、

実は昨日コロナウイルスの影響で一年間ずっと力を入れていたことが

中止されてしまったのです。

 

昨日、なくなったというのを聞いた時には

周りの目もあり、取り乱すのは違うと自分を抑えてしまっていたのですが、

今日改めてその事実を思い出したとき正直に悔しい、というか

やるせない、というか。

でも本当は失敗したくないから、なくなってしまってよかった

と思ってしまっている部分があったんだと思います。

 

涙が出そうで出ないような、でもモヤっとのどや胸のあたりが

むずむずするような。

こういう時に語彙力というのが必要になるんですね。

自分の感情を表せない、表現するツールがないというのは

こういう場面で苦しくなるんですね。

 

だから、文学をおろそかにしてはいけないと思うんです。

昔の天才たちがなんとかこの形のない感情を、文字に乗せてくれたんですから。

わざわざ私たちの時代まで届けてくれたことが無駄のものなはずはないですよね。

 

こういう風になると、当たり前が貴く思えます。

逆にこうならないとありがたく思うのを忘れてしまうから、

人生は楽しいことばかりでは成り立たないと思います。

これも人生なんですかね。

 

そういう未来に対して不安に思うことがあると、

つい占いにすがりたくなってしまいますね。

すがる、というと否定的な感じがしますが、

希望を求めるという感じでとらえたいものです。

自分に合った職種って?

こんばんは、kinoです。

今回は新学期や新生活に向けて、バイトやインターンシップを始めようと

考えている方が多いのではないでしょうか??

 

しかし、どの求人サイトを見てもピンとくるものがない、

特に面白そうと思えない、そもそも自分に合っているのか?

などと考えてしまい、一歩が踏み出せずにいることってありますよね。

 

そこで今回は、自分の適職や強み・武器を知る方法をお伝えしていきたいと思います!

 

今回ご紹介するのは、数秘術を使って自分を知る方法です。

灯台下暗し」という言葉があるように、

自分のことって意外とわかっていなかったりするものです。

しかし、突然友達や親に

「ねえ!俺の強みってなに!?」とか

「私の適職って何だと思う?」

などと聞くのもなんとなくためらわれますよね。

 

そんな時、数秘術を使うと

大まかではありますが「自分にはどんな強みがあるのか」

「自分の適職や自分に合った職場環境」

また仕事という内容からは離れますが、

「人生のターニングポイント」も見えてくるのです。

 

例えば、社長に向いている人、や

フリーランスに向いている人、会社員の方が幸せな人。

などなど、自分の気づいていない一面を知ることができる一つの手段です。

 

数秘術はググったりYoutubeにも多く動画が載っていますが、

見るのが面倒な人や時間に余裕がない人のために

現在、Twitterにて先着順に無料で鑑定しています!

少しでも興味を持った方、就活に行き詰まりすぎて藁にもすがりたい方

どうぞ気軽にDM下さい!

※鑑定では生年月日をお聞きしますが、鑑定以外の目的での使用は

一切致しません。

https://twitter.com/kino36793658