【無用者階級!?】ユヴァル・ノア・ハラリ著『ホモ・デウス』を考える

【無用者階級!?】ユヴァル・ノア・ハラリ著『ホモ・デウス』を考える

 

こんばんは、kino(きの)です。

 

昨日アップロードした、部活に関してのブログを今朝確認したところ

見たまま編集では何とかなっていたのに実際に見てみると

しっちゃかめっちゃかで「あぁ、、、」ってなりました。。

難しいですね、、HTML。勉強中の方いましたら一緒に頑張りましょう!!

コメントなど下さると嬉しいです、お互い成長記録としてブログに残せるといいですね

 

でも!はじめて2日にして、アクセス数6件という予想よりはるか上。

しかも、スターを付けて下さった方もいて!うれしいです!

 

で、今日は昨日の部活について続きを書こうと思っていたのですが、

Youtubeを歩き回っていたら衝撃的な著書に出会いこちらを書かずにはいられませんでした。

といっても世界的にはもうとっくに知られていることではあると思いますが、

『ホモ・デウスという、これからの未来、21世紀を予測した本ですね。

 

ものすごくざっくりと要約すると、

「今後AIが人間の知能を超えていくことは間違いがなく、人間は不要になる

「アップデートされた人間=超人と人間に生命体的な格差すら生まれる」

「人間の生命、自由などが最重視される時代が終わる

、、、どうですか?

管理人は初めて耳にしたとき、漠然とした不安感と恐怖を感じました。

 

しかもこれはいつ訪れるかわからないという。。。

そこから必死になってこれに対抗する意見はないかと調べてみましたが、

「そう近い未来ではないだろう」と見る人や

「こうなってしまうのは仕方がないから、この社会の中でどう生き残っていくか」

と半分諦めのように感じる意見を述べる人、、

 

今の2020年日本に生きている人であるならば、

人の命が無価値であるという世界の実現を招いてはいけないと

少なからず思いませんか?

 

社会は道徳と政治のせめぎあいと言われたりしますが(つまるところ、情か合理性か)

管理人はこの著書のような世界は0/100で人類が最も合理性を選択していった場合の

想定だと思います。

 

近頃、管理人は経済的格差の現実を知り、

やはり人間ならば平等に扱われるべきでその価値があると信じてやまずにいました。

そのためには国が大きな政府となって税金を高くしてでも

なるべく社会福祉などを充実させて...とかを考えていたのですが

その価値感さえも壊れてしまうのならばやはり我々には為す術なしなのでしょうか?

 

そもそも今の自由主義的思想も、

幼いころからメディアや教科書、学校教育などで頑固に刷り込まれたもので

一般市民でも集団化したらある程度支配層に不利益が生じるために

一定以上の市民の幸福を担保されていただけかもしれませんが。。。

 

考えるときりがないですが、

とりあえず生きていく以上そのゲームルールを理解しておくことに損はないようです。

 

この仕組みは一個人におきかえても言えると思ったので、

明日はそれについて書こうかと思います。

部活編の続きはどこへ行ったんでしょう。

ネタが切れたら再開します、始まった時はネタ切れだと思ってください笑

 

ではっ

つづく

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